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第2回論述 解答例/解説

 

No.はプリントの右肩の数字です。 KPは「きょうかしょ」の「ぺーじ数」ね。

例のごとく、時間の都合上、散発でいきます。つぎの更新は明日かも。

 

№2 解答例

ソロモン王の死後、ヘブライ王国イスラエル王国ユダ王国に分裂し、アッシリア新バビロニアに滅ぼされた。さらにバビロン捕囚を受け、苦難の中形成されたユダヤ教は、アケメネス朝に解放されたユダヤ人がイェルサレムに神殿を再建して確立された。

 

№4 

【問題】トルコ系遊牧民モンゴル高原から西方へ移動したことで、移動先となった中央アジアの言語と宗教は大きく変化した。現在の中央アジアの言語・宗教状況につながるそれらの変化がどのようなものであったか80字程度で説明しなさい。

 【解答例】

ウイグル崩壊後、トルコ人中央アジアに移り、イラン系言語に代わりトルコ語が優勢になった。宗教面では、ゾロアスター教マニ教、仏教に代わりイスラーム教が中心となった。

 

宿題No.2

【問題1】「地理上の発見」がイタリアの諸都市におよぼした影響について、100字程度で説明せよ。

【解答例】

インド、アメリカ航路の開拓でリスボンなどの大西洋沿岸都市が発達した。このため経済の中心が東方貿易を独占していたヴェネツィアなど北イタリア諸都市から、大西洋岸の諸都市に移る商業革命がおこり北イタリア諸都市が衰退した。(108字) 

【分析】

※地理上の発見とは、大航海時代にヨーロッパの人々が新大陸を「発見」したことからこう呼ばれた。しかし、発見はあくまで当時のヨーロッパからの視点なので最近こういう言い方はしない。わからなかった人、ごめんなさい。≒大航海時代と考えたらいいです。

主題:地理上の発見が、イタリア諸都市におよぼした影響を説明する。

条件:イタリア諸都市を幹とする。→それ以外は、あくまで枝情報である。

 【ポイント・調整】KP151

①インド航路・アメリカ航路の開拓によって、ヨーロッパの人々は西側に向かって直接アジアやアメリカに行くことができるようになった。

②その結果として、それまで東方貿易(レヴァント貿易)を独占していた北イタリア諸都市(ヴェネツィアが代表的)の独占が破られた。

③さらにその結果として、スペインやポルトガルなどの大西洋沿岸の国の都市(リスボンなど)が発展した。→商業革命がおこる。→北イタリア諸都市は徐々に衰退する。

※商業革命:『世界史用語集(山川出版)』より

 大航海時代の新航路開拓がもたらした、ヨーロッパの貿易構造の変化のこと。ポルトガルがインド航路をとおしてアジアの香辛料を、スペインがアメリカ大陸から大量の銀をヨーロッパに運ぶようになった結果、従来の北イタリア諸都市による東方貿易(レヴァント貿易)が衰退し、ドイツ産の銀が駆逐された。貿易の中心は地中海から大西洋へ移動した。

 【調整】

ヴェネツィアなど北イタリア諸都市の具体例は入れてもいいし、字数の都合から入れないというのもアリ。

②商業革命の説明をできるだけ短くした。

③本当は「ヨーロッパ経済の中心が」と書きたかったが、字数制限からヨーロッパを抜いた。

【ここから派生した知識として】

①南ドイツのアウグスブルク(銀山・フッガー家で有名)も没落。

コロンブスジェノバ人。ジェノバイタリア半島を挟んでヴェネツィア対岸にある。東方貿易ではヴェネツィアに負けている。そこで、コロンブスは直接、アジアに出るルートを探すためにスペイン女王のイザベルに自分を売り込んだ。

③大西洋沿岸諸都市の次に発展してくるのは、大西洋とバルト海をつなぐオランダである。ここから、イタリア→スペイン・ポルトガル→オランダと順に発展したという歴史の大きな流れが見える。)

 

 

【問題2】三十年戦争講和条約について、条約の名を明らかにした上で、その歴史的意義を120字以内で説明しなさい。

 【解答例】

ウェストファリア条約。16世紀からの新旧両派の宗教対立が決着した。国際条約の先がけとなり、主権国家体制が確立された。神聖ローマ帝国が事実上崩壊し、スウェーデンが北欧の大国として台頭した。ハプスブルク家に対しブルボン家が優位に立った。

(115字 「ウェストファリア条約」も字数にカウントした)

 【分析】

主題:三十年戦争講和条約の歴史的意義を説明。(120字以内 ※程度ではない)

※意義説明のポイントは、最初に配布したプリント参照。

条件:条約の名を明らかにする。

 【ポイント】ウェストファリア条約が後世にもたらしたもの。

ウェストファリア条約によって16世紀から続く、カトリックプロテスタントの宗教対立に決着がついた。

三十年戦争(1618~1648年)の講和条約なので、17世紀と書くべきでは?と思ったのではないだろうか。しかし、こうは考えられないか。

○カール5世とルター派諸侯の対立(シュマルカルデン同盟、シュマルカルデン戦争など)は16世紀前半から半ばにかけておこっている。これも立派なカトリックプロテスタントの対立である。

○それを調停するために、アウグスブルクの宗教和議が行われた(KP159)(カトリックルター派新教かを選んでいい。ただし、選べるのは領主のみで、領民は領主の決定に従う。個人に信仰の自由はなかった。これを「”支配者の宗教、その地に行われる”」と表現することがある。)。

○しかし、これでも争いは治まらなかった(KP170)。そのため三十年戦争が起こり、ウェストファリア条約アウグスブルクの宗教和議の原則に加えて、カルヴァン派の信仰も公認される形となった。

○なので、その意義は、16世紀からの宗教対立の一応の決着なのである。これが用語説明を要求する問題であれば、「17世紀の三十年戦争における講和条約」となる。

 

②国際条約の先がけとなり、主権国家体制が確立された。

各々対等な主権をもつ国家が並存する国際体制が確立した。イタリア戦争の頃から現れ始め、ウェストファリア条約で確立された。現在も続く、国際関係である。主権(国際的な意味で):国内の統治に関して、他国から干渉を受けない権力。

 

神聖ローマ帝国が事実上崩壊した。

取り決めの中に、神聖ローマ帝国内の領邦に主権が認められたとあるため。

 

スウェーデンが西ポンメルンを獲得し、北欧の大国として台頭した。

西ポンメルンはバルト海南岸の地。これによりハンザ同盟は崩壊し、スウェーデンは1700年の北方戦争でロシアに敗れるまで、約50年間にわたってバルト海を支配した。スウェーデンの最盛期をバルト帝国と呼ぶことがある。

 

ハプスブルク家に対して、ブルボン家(フランス)が優位に立ち台頭した。

 

⑥その他:アルザス・ロレーヌがフランス領に。オランダとスイスの独立が国際的に承認された。(両国ともハプスブルク家領で、これ以前から独立を宣言していた。)

 

【調整】120字なので、条約・各意義の内容に深入りせず述べる。

 【冒頭に用語をこたえる場合】

ウェストファリア条約。」とだけ体言止めで答えて、次から論述を始めればよい。解答欄の形式によっては、用語を書くための解答欄が、論述のための解答欄とは別に設けられていることもある。それがあれば、もちろんそこに書く。無理して、ウェストファリア条約の説明をしてしまえば、意義を書くスペースが減るので、大損する。