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論述講座 第3回 宿題No.3

宿題No.3

【問題】アメリカ合衆国は、伝統的にヨーロッパの国際政治とは距離を置く姿勢をとり続けてきた。この観点から、第一次世界大戦および戦後のアメリカ合衆国の外交を100字以内で説明しなさい。その際、以下の語句を必ず使用し、使用した箇所すべてに下線を引きなさい。 指定語句:無制限潜水艦作戦  国際連盟  孤立主義

 

【解答例】

アメリカは当初中立だったが、ドイツの無制限潜水艦作戦で孤立主義を転換、連合国側で大戦に参戦し十四ヵ条の平和原則も発表した。戦後は孤立主義に戻り国際連盟に未加盟だが、軍縮や不戦条約で協調姿勢を示した。(99字)

 

【分析】

主題:第一次世界大戦中と戦後のアメリカ合衆国の外交を説明する。→時代設定:第一次世界大戦中と戦後なので、「大戦初期→中期→後期(末期)→戦後(第二次世界大戦が始まるまで)」と考えるとよい。

条件①:ヨーロッパの国際政治とは距離を置く姿勢をとり続けてきたという観点から述べる。

条件②:指定語句をすべて使い、使用箇所に下線を引く。

 

【ポイント/見通し】KP193、208、258、260、261、268、273

この問題のキモは条件①にある。問題文中の「この観点」から外交を述べることを要求されている。その上で、第一次世界大戦中と戦後を答える必要がある。この問題設定の状況を考えて、下記の3つの組み合わせを思いつくべきだろう。

第一次世界大戦前=国際政治から距離を置く(問題文より) 第一次世界大戦中=距離を置かない 第一次世界大戦後=距離を置く

第一次世界大戦前=国際政治から距離を置く(問題文より) 第一次世界大戦中=距離を置く 第一次世界大戦後=距離を置く

第一次世界大戦前=国際政治から距離を置く(問題文より) 第一次世界大戦中=距離を置かない 第一次世界大戦後=距離を置かない

歴史的事実として正しいのはいずれかを判断すれば①となる。これを幹として論を組み立てる。結局この問題は、第一次世界大戦中と戦後におけるアメリカ合衆国の外交姿勢の変遷(比較)を、伝統的な孤立主義の観点から述べよという趣旨である。分析段階でここまで読み取ることができれば、あとは基礎的な知識で十分である。

(A)当初アメリカはヨーロッパで起きた大戦には中立を保っていた。(=孤立主義

(B)大戦後期、ドイツの無制限潜水艦作戦を契機に、連合国側として参戦した。(=孤立主義ではない)

(C)大戦末期(1919年)、パリ講和会議が開かれた。その議論の基礎となったが、合衆国大統領ウィルソンの十四ヵ条の平和条約であった。アメリカは、ヨーロッパ列強主導による植民地体制の堅持ではなく、アメリカ主導の自由主義経済に基づく国際秩序の構築をめざしたものであった。国際社会をリードしようとした。(=孤立主義ではない)

(D)しかし、集団安全保障体制下で自国の行動の自由が制限されることを嫌い、孤立主義の世論が高まった。その結果上院の反対により、アメリカ合衆国は国連には参加しなかった。(=孤立主義

(E)とはいっても、孤立主義を貫徹したわけではなく、ワシントン海軍軍縮条約や不戦条約を締結したことから国際協調の姿勢も持っていたと言える。

 

【雑感】内容は簡単だが、100字で収めるのに苦労した。120字やったら簡単やのになあ・・・という問題であった。

 

 

【問題】

1930年代にドイツのファシズム体制が確立されていった経緯について、150字程度で述べなさい。

 

【解答例】

世界恐慌による社会不安の中、ナチ党は宣伝を含む大衆運動で中間層から支持された。選挙で躍進した共産党への対抗勢力として期待されたナチ党は産業界や軍部の支持も獲得し、ヒトラー内閣が成立した。その後国会議事堂放火事件で共産党を非合法化、全権委任法を成立させ一党独裁を確立した。翌年ヒトラーが総統に就任し、ファシズム体制が確立した。(162字)

 

【分析】

主題:ドイツのファシズム体制が確立された経緯について述べる。

条件:いつから?1930年代に限定。

条件②:いつまで?ファシズム体制確立まで。

 

【ポイント/見通しver.1】KP278

○1930年代:1929年に世界恐慌が起こったことを考えると、1930年代はすでに世界恐慌下の世界である。⇒世界恐慌下のドイツにおいて、ナチスが支持を集めていった時期を書く。(ミュンヘン一揆、わが闘争の執筆などは1920年代なので範囲外)

ファシズム体制の確立:ヒトラーが総統に就任するまで/全権委任法の制定までなど考え方はいくつかあるだろう。

教科書に記載のある出来事は概ね以下のとおり

(A)1932年:選挙で第1党に躍進

(B)1933年:ヒトラーが首相に任命される。

(C)同年:国会議事堂放火事件→共産党を非合法化。→全権委任法制定/ナチ党以外の政党を禁止(これ記述なしだが、知っててほしい)→ナチ党の独裁体制が確立。

・全権委任法・・・政府(行政権)に立法権(議会の権限)が移される。つまり、議会が無力化したことをさす。三権(立法・司法・行政)の2権を握れば独裁が可能。

(D)1934年:ヒンデンブルク大統領の死後、ヒトラーが総統(国家元首)に就任し、独裁者となる。

【ポイント/見通しver.2】KP278をver.1とは違う読み方をすれば、ここまでは書ける。(知識的には難しいように思うかもしれないが、流れの整理としては一般的なレベルである。)

世界恐慌アメリカ資本が撤収したことによる経済への深刻な打撃、それに伴うヴァイ丸共和国及び、同国が立脚する議会制民主主義に対する国民への不満から、ナチ党と共産党が勢力を伸ばした。その中でナチ党は巧みな宣伝を含む大衆運動を展開し、中間層(都市中間層)から支持を獲得。公共事業と軍需産業により失業者を減らし、労働者からも支持を得た。

○1932年の選挙では、ナチ党が第1党になったと同時に共産党も躍進した。これに不安を覚えた産業界や軍部は、共産党への対抗勢力としてナチ党に期待した。(ここは消去法的にナチ党を選んだという感覚で理解できるだろう。)そのため、ヒンデンブルク大統領はヒトラーを首相に任命した。

 

【雑感】

独裁者が今後現れないとは限らない。その時に、独裁者が現れた過程を知っているかどうかで、ずいぶんと選択肢が変わってくるだろう。知っていることに価値はある。だから三権分立を義務教育段階の中学で習うのです。

解答的には、ある程度両方を入れ込んだ形で作ってみた。

 

 

【問題】

ブレトン=ウッズ体制の内容と意義について100字以内で説明せよ。

 

【解答例】

IMF世界銀行が創設され、米ドルを基軸通貨とする固定相場制で為替の安定がはかられると同時に、戦後復興と開発のための融資が行われた。これによりアメリカ主導で経済復興、拡大をめざす経済秩序が形成された。(98字)

 

【分析】

主題:ブレトン=ウッズ体制の内容説明。主題2:ブレトンウッズ体制の意義説明。

 

【ポイント/見通し】KP287

○ブレトン=ウッズ体制は、第二次世界大戦後に確立された新しい国際経済秩序である。

国際通貨基金IMF)を創設し、米ドルを基軸通貨とする固定相場制を採用して為替の安定をはかった。

国際復興開発銀行(IBRD 世界銀行)によって戦後復興と開発援助のための融資を行った。

○意義・・・アメリカ主導で、第二次世界大戦でダメージを受けた経済復興、及び世界経済拡大が実現する土台となった。

 

※関税と貿易に関する一般協定(GATT)について言及するのもよい。自由貿易体制は戦後経済体制の重要なポイントなので。解答例では「ブレトン=ウッズ体制」という問題要求をうけて、「ブレトン=ウッズはIMF、IBRD創設の協定が結ばれた場所だ」という根拠で、GATTを外しました。

 

【雑感】

手書きで字数内にまとめ切るのって、本当に難しいよねえ・・・。やっぱり【ポイント/見通し】→【調整(要素の字数数え)】→【書き始め】の手順がないと、失敗するわ。面倒やけど、自分のためやと思って手順守ろうな。