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論述講座 第4回 宿題No.4

【問題】

11~13世紀の地中海とその周辺部における西方キリスト教世界の拡大について200字程度で述べなさい。

 

【分析】

主題:11~13世紀の地中海とその周辺部における西方キリスト教世界の拡大を述べる。

→西方キリスト教世界なので、西ヨーロッパのヨーロッパ=カトリック世界であると判断しよう。

→「拡大」の解釈もポイントの一つ。拡大は、「布教」よりも概念としては広くとれる。200字なので、いくつ項目を作るかによって変わる。

→拡大に「ついて」なので、この部分は具体的に固有名詞を出しながら説明すれば問題ないでしょう。事実誤認を防ぐために基本的知識で対応していこう。

【見通し/ポイント】KP102/104

(1)十字軍(これは確実に)

 ・第4回のコンスタンティノープル占領もカトリック世界の拡大です。入れてもOK。

 ・十字軍失敗は「拡大について」なので、明記したい。

(2)イベリアのレコンキスタ(これも入れないとしんどい)

 ・レコンキスタ完了(ナスル朝グラナダ陥落)は、1492年なので、範囲外です。

(3)北イタリア都市による東方貿易

 ・十字軍と並行する動き。イタリアは西方キリスト教世界に含まれ、その貿易が活発化したら「拡大」と解釈できる。

(4)ノルマン人によるシチリア王国の建国(1130年)

 ・これは忘れがち。でも、№9でやっているから気づくかもしれない。拡大ですね。イスラーム圏であったシチリアにノルマン人がいった。

(5)エルベ川以東へのドイツ人の植民(東方植民)

 ・これも拡大の一つである。しかし、エルベ川バルト海方面の東方植民を地中海周辺で押し切るのは無理があるように思います。地中海周辺という縛りがなければ使えますが。

これ以外にも思いつくものがあれば入れてもいいです。

(1)〜(4)=1文50字

 

【短文づくり】

(1)イェルサレム奪還を目指し十字軍遠征が行われ、第4回ではコンスタンティノープルを占領し、ビザンツ方面にも進出した。(56字)

(2)十字軍は失敗したが、ヴェネツィアなどイタリア諸都市による東方貿易が活発化した。(39字)

(3)イベリア半島ではイスラーム勢力に対して、カスティリャ王国やアラゴン王国によるレコンキスタが進展した。(50字)

(4)南イタリアでもノルマン人がシチリア王国を建てたことで、イスラーム圏であった同地域にキリスト教圏が拡大した。(53字)

(1)〜(4)=198字。

 

【解答例】

十字軍遠征がイェルサレム奪還を目指して行われ、第4回ではコンスタンティノープルを占領し、ビザンツ方面にも進出した。十字軍は失敗したが、ヴェネツィアなどイタリア都市による東方貿易が活発化した。イベリア半島ではイスラーム勢力に対して、カスティリャ王国やアラゴン王国によるレコンキスタが進展した。南イタリアでもノルマン人がシチリア王国を建てたことで、イスラーム圏であった同地域にキリスト教圏が拡大した。

 

【危機回避】

「奪還」の漢字が怪しければ、「回復」と書く。

アラゴンが出てこなければ、「カスティリャなど」で逃げる。

シチリア王国がいつできたかがわからなければ、年代は書かない。(実際書いていません。)

 

【雑感】

シチリアが思いつかない可能性が一番高い。アルビジョワ十字軍とどっちが思いつく?あれも地中海方面への拡大ですよ。フィリップ2世/ルイ9世(明らかに十字軍メンバー)が、南フランスという地中海方面に勢力を拡大したわけですから。別解として大丈夫です。

短文段階の文章は、変哲のない平易なものです。200字と書かかなあかん!!と思うとしんどいですが、短文×4文ならまだ対応可能なのではないでしょうか。

 

 

【問題】

中国王朝史において、唐と宋の間に見られた政治制度・文化の変革(唐宋変革)について述べなさい。(200字)

 

【分析】

唐と宋の政治制度・文化の変革について述べる。

→単なる列挙ではなく、変化がわかるように述べる必要がある。

〇政治制度 →唐と宋の間でこう変わった。

門閥貴族が強い(唐)→皇帝独裁(宋)

〇文化   →唐と宋の間でこう変わった。

貴族文化・国際的文化(唐)→士大夫層・中国独自の文化

こういう流れでいけばすっきりする。ここまで分析段階で判断したい。

 

【見通し/ポイント】

〇唐の政治

 律令制・均田制・租庸調制・府兵制・科挙

 門閥貴族が強い

 ・皇帝も存在しているが、貴族との合議で政治が行われた。

 ・大土地所有。

 ・科挙もあったが、官職は父祖の地位に応じて与えられた(蔭位の制)。

  →上級官職独占。

 

○宋の政治

 貴族が唐末、五代十国の動乱の中で衰えた。

 皇帝独裁体制が確立した。

 ・殿試を創設し、科挙を整備して独裁体制を強化した。

 ・官僚は貴族ではなく、新興地主層(形勢戸)であった。

※文治主義も特徴だとは思うが、五代の武断政治からの変化なので、使いにくい。

 

○唐の文化

 貴族文化:唐詩・唐三彩・書など華やかな文化。

 国際的文化:長安を中心に東西交流(交易)が活発化。各地の使節・文物が流入

 儒学儒学では『五経正義』が編纂されるなど経典の研究、解釈が進んだ。 漢の訓詁学を引き継いでいたが、次第に学問的には沈滞(枝葉末節の解釈学に落ち込んだ)。そこで唐詩という別の文学が流行した。

    ※古文復興から柳宗元や韓愈などを出しても具体例となりえる。

 

○宋の文化(学問も文化に含めてOK)

 士大夫文化:新興地主層の文化的側面としての士大夫が形成した文化。中国独自の文化が栄えた。門閥に頼らず台頭してきた士大夫が万物の本質を重視した。このような文化傾向があった。(華やかさとは違うという意味で。ここまでいけばマニアック。難しい。)

 庶民文化:都市や商業の発達。

 ※唐代に都市や商業が発達していなかったわけでは決してないが、庶民文化を述べるために使っても悪くはない。都市でいえば、唐代は夜間営業禁止、宋代は夜間営業解禁などを述べてもいいだろう。

 儒学朱子学が盛んになった。宋は常に北方の遊牧騎馬民と対峙していたため、朱子学の華夷別や大義名分論が受け入れられ、皇帝独裁の理論的補強ともなった(君臣をきっちり区別するという意味で。)

※「遊牧騎馬民への対抗から、中国独自の文化が重んじられた。」という筋書きも可能。

 

【短文づくり】200字なので一文50字程度と考える。

(1)唐の政治:律令体制を確立し科挙を実施した。しかし、門閥貴族が上級官職を独占し大土地所有を行うなど、実質的には貴族社会であった。(58)

(2)宋の政治:貴族は唐末から五代の混乱で衰え、新興地主層が社会の支配層となった。科挙では殿試が行われ、彼らが官僚として皇帝独裁体制を支えた。(63)

(3)唐の文化:東西交易の活発化も手伝い、長安を中心に国際色に富んだ貴族文化が栄えた。儒学では『五経正義』が編纂されるなど経典の研究、解釈が進んだ。(66)

(4)宋の文化:士大夫を担い手とする中国独自の文化が栄えた。儒学では訓詁学にかわり朱子学が盛んになった。都市や商業が発達し、庶民文化も栄えた。(63)

(1)~(4)合計 250字 多いので削らないと。下線部は重複しているので、(3)の下線部はそのまま削れる。こういうことが判断できるのも、書きはじめ前に設計図を描くからです。本当は短文段階でもっと抑えておく方が無難です。試験時間でそれほど吟味している時間はないでしょうから。

 

【解答例】

唐は律令体制を確立し科挙を実施したが、門閥貴族が上級官職を独占し大土地所有を行うなど実質は貴族社会であった。貴族は唐末以降衰え、宋では新興地主層が支配層となった。科挙では殿試が行われ彼らが皇帝独裁体制を支えた。また、唐では東西交易の活発化で国際色豊かな貴族文化が、一方宋では士大夫を担い手とする中国独自の文化が栄えた。儒学では訓詁学にかわり朱子学が盛んになった。都市や商業が発達し庶民文化も栄えた。

(199字)

 

【危機回避】

訓詁学は漢のイメージが強いので、出てこなければ、教科書通り、「経典の研究、解釈」で逃げる。

形勢戸が出てこなければ新興地主層で逃げる。

国際色豊かの背景がわからなければ、国際色豊かとだけ書く。

 

【雑感】

唐宋変革という非常にオーソドックスな出題である。問題分析の段階で、200字÷4種(唐・宋の政治・文化)=50字だという式が頭に思い浮かぶようになってほしい。