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論述講座 第6回 No.10(遅くなってごめん)

【問題】

中国歴代王朝の中で、明初に洪武帝が行った諸政策にはいかなる特色が見出されるか。具体的な制度・政策に触れつつ150字程度で述べなさい。

 

【分析】

主題:明初期に洪武帝が行った政策の特色を述べる。

→特色=際立つ特徴/他の何かとは違う特徴

→具体的に何と比較せよとは書いていない。あえてペアをイメージするならモンゴル帝国(元)でしょう。

条件:具体的な制度・政策にふれる。

→政策=国またはそれに準ずる政治勢力が行ったこと。

 

【見通し】洪武帝の政策 150÷下記3項目=1項目40±5字程度の目安

(1)皇帝独裁の強化

中書省を廃止と六部の直属化、朱子学の官学化(大義名分論を重んじる)、一世一元の制度創設を行い、皇帝独裁体制を強化するとともに、中華帝国の復活をめざした。

(2)小農民把握(農村政策)

小農民を把握するため魚鱗図冊や賦役黄冊を作成し、里甲制や衛所制で徴税や防備を行った。また六諭によって農民教化も行った。

(3)海禁=朝貢体制(対外政策)

私貿易を取り締まり、朝貢貿易のみを許可した。(これを中華帝国復活と結びつけてもよいだろう)

【短文づくり】合計=143字

中書省を廃止と六部の直属化や、大義名分論を重んじる朱子学の官学化によって皇帝独裁体制を強化した。(48字)

小農民を把握するため魚鱗図冊や賦役黄冊を作成し、里甲制や衛所制で徴税や防備を行った。また六諭による農民教化も行った。(58字)

中華帝国の威光を取り戻すため、私貿易を取り締まり、朝貢貿易のみを許可した。(37字)

 

【解答例】

中書省を廃止と六部の直属化や、大義名分論を重んじる朱子学の官学化によって皇帝独裁体制を強化した。また中華帝国の威光を取り戻すため、私貿易を取り締まり、朝貢貿易のみを許可した。農村政策では、小農民を把握するため魚鱗図冊や賦役黄冊を作成し、里甲制や衛所制で徴税や防備を行った。また六諭による農民教化も行った。

【雑感】

150字は短い。いかに根幹の情報を、枝情報に潰されに入れ込めるかが問題だろう。内容的には簡単だが、そこが難しい。取捨選択をし、言いたいことを的確に入れ込む技術が必要。だんだんプレゼンみたいになってきた。

 

【問題】

1450年代から続いた景気拡大が1620年頃ストップしたヨーロッパは、その後17世紀末まで、一部の例外はあるものの、「17世紀の全般的危機」の中で混乱が続いた。好景気や人口増加の結果生じた環境破壊と、過剰の銀の流通による貨幣価値の混乱などを背景とするこの危機は全世界的なもので、王朝交代にともなう長期間の混乱や17世紀後半に始まる大帝国の衰退などアジア各地域の動きも少しずつタイミングはずれているものの、この巨大な危機の一環をなすものだったという説が、最近登場して論争を呼んだ。では、17世紀のヨーロッパとアジアの主要国・地域でどんな混乱や衰退がおこったか、細かい年代にはこだわらずに、代表的な例をあげて250字程度で説明しなさい。

指定語句:三十年戦争 ピューリタン革命 ユグノー 第二次ウィーン包囲 アウラングゼーブ 鄭氏(台湾)

【分析】

主題:17世紀のヨーロッパとアジアの主要国・地域でどんな混乱や衰退がおこったかを述べる。(250字程度)

条件1:細かい年代にはこだわらない。

→年代は書かなくていい。全部17世紀だよという前提で。

条件2:指定語句

→ほとんどが、ヒントというより代表的な例になっている。

注意点:リード文が長いときは、ヒントとなっている場合が多いのでしっかり読み込みたい。問題で下線部にした部分がそれにあたる。要求と合致している部分なので、下線部のことを念頭において考える。

 

【見通し】250字÷6項目=40字程度ずつ。

指定語句からどの地域について書かなければならないかは、自然と見える。

(1)三十年戦争:ドイツ

(2)ピューリタン革命:イギリス

(3)ユグノー:フランス

(4)第二次ウィーン包囲:オスマン帝国

(5)アウラングゼーブ:ムガル帝国

(6)鄭氏(台湾):中国(明から清へ)

※問題の要求に該当するもので、指定語句以外から連想できるのはオランダである。17世紀にヨーロッパの主要国の一つであり、18世紀にむけて衰退していくわけだから、17世紀中の衰退と考えられる。入る字数ならば入れてよいだろう。

(1)ドイツでは三十年戦争で国土が荒廃した上、神聖ローマ帝国が事実上解体した。(36字)

(2)イギリスではピューリタン革命で国王が処刑され共和制に変わる混乱が起きた。(36字)

(3)フランスではナントの王令が廃止され、ユグノーが国外に亡命し経済が失速した。(37字)

(4)オスマン帝国は第二次ウィーン包囲に失敗し、カルロヴィッツ条約でハンガリーを失うなど衰退が始まった。(49字)

(5)ムガル帝国ではアウラングゼーブがジズヤを復活させたため、マラータ王国などの抵抗が頻発し衰退に向かった。(51字)

(6)明が李自成の乱で滅び、清成立後も康熙帝の治世に三藩の乱や鄭氏台湾の抵抗で混乱が続いた。(43字)

合計252字

 

【解答例】

ドイツでは三十年戦争で国土が荒廃した上、神聖ローマ帝国が事実上解体した。イギリスではピューリタン革命で国王が処刑され共和制に変わる混乱が起きた。フランスではナントの王令が廃止され、ユグノーが国外に亡命し経済が失速した。オスマン帝国は第二次ウィーン包囲に失敗し、カルロヴィッツ条約でハンガリーを失うなど衰退が始まった。ムガル帝国ではアウラングゼーブがジズヤを復活させたため、マラータ王国などの抵抗が頻発し衰退に向かった。明が李自成の乱で滅び、清成立後も康熙帝の治世に三藩の乱や鄭氏台湾の抵抗で混乱が続いた。(252字 【短文づくり】から変更なし)

 

【雑感】

○ドイツでは「神聖ローマ帝国の事実上解体」、イギリスでは「共和制への転換」、オスマン帝国では「カルロヴィッツ条約」、中国では「李自成の乱/康熙帝」を抜けば、オランダは入れられるだろう。指定語句だけでも十分だろうとは思うが。

○イギリスの「共和制への転換」は混乱ではなく、「落ち着き」に見えるかもしれない。なので、「クロムウェルの独裁が起こった」や「内乱が起きた」などの表現もよいだろう。