論述講座 第4回 No.8
【問題】
9~10世紀以降ローマ=カトリック圏に侵入したノルマン人やマジャール人は、10世紀後半以降ローマ=カトリックを受け入れ、その重要な構成員となった。これによりローマ=カトリック圏は拡大した。以上の過程について、彼らによる国家形成にも触れながら250字程度で説明しなさい。なお、次の語句を必ず用い、それらの語句には全て傍線を引くこと。 指定語句:ハンガリー ノルマンディー スカンディナヴィア イングランド
【見通し(短文から)】KP99
講座でやったとおりの区分で書いてみます。
(1)ハンガリー
アジア系のマジャール人はオットー1世に撃退された後、ハンガリーを建国し、10世紀後半にカトリックを受容した。(53)
(2)ノルマンディー
ノルマン人のうち、ロロを首長とする一派が北フランスにノルマンディー公国を建てた。ノルマン人が南イタリアにも進出してシチリア王国を建てたことで、イスラーム・ビザンツ圏であった同地域にカトリック圏が拡大した。(101)
(3)スカンディナヴィア
スカンディナヴィア半島一帯を原住地としていたノルマン人がいた。(31)
(4)イングランド
11世紀にノルマンディー公ウィリアムがアングロ=サクソン人を破ってイングランドにノルマン朝を建てた。(49)
※「イングランドに上陸し」という使い方もありかも。とにかく「イングランドにノルマン朝を建てた」という表現であればOKでしょう。
※9~10世紀以降が問題の要求なので、11世紀、12世紀も範囲に設定できます。
(1)~(4)を足すと、234文字でした。後は接続詞で伸びるか、何か枝情報を入れる程度でいいと思います。慎重に文を接続してみましょう。時系列で、(3)→(2)→(4)→(1)とします。ただし、(2)の中に、12世紀のシチリア王国があるので、ここはイングランド→シチリアという割り込み方をしました。(1)のマジャール人については、はどこでもいいかと思いましたが、一応問題のリード文が「ノルマン人やマジャール人」の順番になっているので、最後に回しました。
【解答例】
スカンディナヴィア半島一帯を原住地としていたノルマン人のうち、ロロを首長とする一派が西フランク王の封臣として北フランスにノルマンディー公国を建てた。11世紀にはノルマンディー公ウィリアムがアングロ=サクソン人を破ってイングランドにノルマン朝を建て、さらに地中海方面にも進出してシチリア王国を建てたことで、イスラームやビザンツの影響下にあった南イタリアにカトリック圏が拡大した。一方、アジア系のマジャール人はオットー1世に撃退された後、ハンガリーに定住し王国を建国して10世紀後半にカトリックを受容した。(249字)
※問題の条件に、「それらの語句には全て傍線を引くこと。」とあるので、全てに傍線を引きます。
※イスラーム・ビザンツ圏という表記は、イスラーム圏とカトリック圏が宗教という共通項でくくれるのに対し、ビザンツは宗教名ではないので、このような表記に変えてみました。この辺はニュアンスだと思います。あくまで解答例としてできるだけ正確性を求めたと思っておいてください。あるいは、ビザンツを抜いて、代表的なイスラーム圏だけを書くというのも現実的な選択肢の一つです。どうだったかな?と思うなら、むしろそうすべきでしょう。
【危険回避について】
スカンディナヴィアの「どこ」とはあえて言及しない。ノルウェーやスウェーデンなど知識が曖昧な部分には触れない。(今回はそもそも字数の関係で触れれない。)
北フランスか北西フランスかわからなければ書かない。
ノルマンディー公国のどの人がシチリア王国をたてたかわからなければ、「ノルマン人」でまとめる。
オットー1世に撃退された「後」かどうか、タイミングがわからなければ書かない。
10世紀「後半」かわからなければ10世紀とする。などなど。
【問題】
第一世界大戦につながるヨーロッパの国際関係について、250字程度で述べなさい。
【見通し(短文から)】KP239、254、255
(1)ビスマルク外交
三帝同盟と三国同盟を結成し、ロシアと再保障条約を結ぶことでフランスを孤立させた。(40字)
(2)ヴィルヘルム2世の親政
ヴィルヘルム2世は世界政策を提唱し、ロシアとの再保障条約を拒否した。そのため露仏同盟が結成された。さらに3B政策でイギリスと対立した。ファショダ事件、日露戦争で英仏が接近し英仏協商が、ドイツの西アジア進出にそなえて英語協商が締結された。ここから三国協商が成立した。(132字)
バルカン半島への進出をめぐり、オーストリアはドイツの後押しを受けてパン=ゲルマン主義を、ロシアはセルビアを支援しつつパン=スラヴ主義をそれぞれ唱えて対立した。(79字)
(1)~(3)合計251字。これらを単純につなげてみる。多いだろうな・・・。
【解答例】
ビルマルクは三帝同盟、三国同盟、ロシアと再保障条約を結びフランスを孤立させた。ヴィルヘルム2世は世界政策を提唱し、ロシアとの再保障条約を拒否したため、露仏同盟が結成された。さらに3B政策でイギリスと対立した。ファショダ事件で英仏協商が、ドイツの西アジア進出にそなえて日露戦争後に英露協商が締結された。ここからドイツ中心の三国同盟に対抗する三国協商が成立した。バルカン半島への進出をめぐっては、オーストリアはドイツの後押しを受けてパン=ゲルマン主義を、セルビアはロシアの支援をうけてパン=スラヴ主義を唱えて対立した。(257字)
【雑感】
○世界政策(3B政策が代表的・象徴的)が、のちに協商側に加わる国の警戒心をあおったということを表現したくて、世界政策という言葉を入れました。絶対必要な用語かといわれると、3B政策で代用できるとは思います。ここもニュアンスかな。
○サライエヴォ事件については、触れませんでした。バルカン半島の対立が第一次大戦に「つながる」国際関係だろうという考えのもとです。別解としてヴィルヘルム2世から書きはじめるなら、サライエヴォ事件を書けばちょうど相殺されて字数はクリアになると思います。
○短文の時から変化があるので、難しいかもしれないですが、少し字数に余裕をもって書いていきたいものです。短文段階で多いと思ったら、削っておくのが無難でしょう。短文同士で重複がないかも着目ポイントです。