振り返り用のページ

世界史の振り返りのためのものです。

皇帝って簡単に作れるの?

このような質問をいただきました。

3世紀の危機に関して、「混乱中とはいえ、それほどローマ皇帝は擁立しやすいものだったのでしょうか。また、当時のローマ皇帝世襲が可能だったのでしょうか」

 

☆教科書の記述:P33 3〜4行目「政治的にも各地の軍団が皇帝を擁立して政権を奪い合う軍人皇帝時代となった」

☆『世界史用語集』(山川出版):235〜284年までのあいだ、各地の軍団によって擁立された諸皇帝のこと。一般兵士出身の軍人である皇帝が多い。

 

よく言われるのが、軍人皇帝は50年間で26名。自然死2名。ということは他は殺された場合が多いということです。少し長いですが、引用します。

『興亡の世界史04 地中海世界ローマ帝国講談社 木村凌二著

「半世紀で70人の皇帝が出現

 後任は高齢の元元老院議員タキトゥスである。おだやかでつつましい退役軍人だったが、半年足らずで殺されてしまう。お次は親衛隊長フロリアヌスだった。だが、ほかに有意の軍人プロブスを擁立する勢力があらわれる。やがてフロリアヌス軍内で反乱が起こり、現帝はあえなく殺害された。(中略)それでも親衛隊長カルスの裏切りで気まぐれな兵士たちが寝返り、殺されてしまう。その惨劇はもはや軍人皇帝時代の現役病であった。(中略 この間も軍団による皇帝擁立→殺害の記述が続く)すさまじい混迷の半世紀であった。この期間に正統な皇帝とみなされた者だけでも26名を数える。そのうち24名は殺されたり戦場の刃でたおれたりしている。さらに、共治(共同統治)3人、僭称(勝手に皇帝を名乗る)帝41人を数えれば、じつに半世紀で総計70人の皇帝が出現したことになる。そのほとんどが軍人であり、駐屯する軍団に擁立され、味方の兵士の手であるいは敵軍の刃で息の根を止められたのである。皇帝の数が大インフレーションすれば、皇帝の威光は大暴落するしかなかった。」

 

これほど擁立しやすいものだったということです。

 

皇帝就任手順の変遷

五賢帝あたり>

皇帝が実子を皇帝にする(世襲)、あるいは次の皇帝と目されるものを養子としてから皇帝位を継がせる。次の皇帝の候補になるために苛烈な政治闘争が繰り広げられたであろうことは想像できますね。そして、皇帝就任を元老院が承認するという形。

 

五賢帝後>

親衛隊が皇帝を指名し、元老院がそれを承認する。紀元後190年ころからです。親衛隊の後ろ盾を得て、形式的に元老院に皇帝就任を追認させるということです。そのために皇帝は軍人の報酬を上げる必要がありました。

それでも軍人皇帝時代まで、つまり3世紀始めころまではローマ社会の最上層部である元老院議員から皇帝は選ばれていました。皇帝となりうる人は元老院議員となっていました。しかし、軍人皇帝時代では違います。

 

<軍人皇帝時代>

元老院議員の身分でない、またイタリア出身者(属州出身者)でもない者が軍団に擁立されて皇帝になりました。

 

以上です。答えになったでしょうか。なっていなければ引き続き質問をどうぞ。直接も可です。

 

質問ありがとうございます。私の勉強にもなるので非常にありがたいです。