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論述講座 第7回 No.11/宿題No.7

1 (2009年阪大)問1

【問題】

中国(華北〜華南)における経済的中心地の移動について、7世紀から14世紀にいたる期間を対象に、以下の用語をすべて使用しながら説明しなさい(180字程度)。

指定語句:大運河 江南 ムスリム商人 稲作 海運

【分析】

主題:華北から華南における経済的中心地の移動を説明する。

条件1:7世紀〜14世紀

条件2:指定語句をすべて使用

【見通し/ポイント】

①主題から

 「華北に経済の中心」があったことから、「華南(江南/長江下流域)に経済の中心」が移ったことが大きな流れである。時代で言えば、秦・漢あるいは、それよりも以前から、宋代である。

②どこから書く?:条件1・2から

 条件1の「7世紀」、指定語句の「大運河」から、実際に経済の中心が移り始めた南北朝は書かずに、隋から書き始めるのが妥当である。

③どこまで書く?

 14世紀までなので、宋代の「蘇湖熟すれば天下足る」まででは不十分である。明が1368年から1644年までなので、明初期まで書くのが妥当である。ここで注意点として、「湖広熟すれば天下足る」も書きたくなるのだが、「湖広…」は明中期(16世紀頃)からの話なので、範囲外となり加点なしである(KP126)。

 

以上を念頭に置いて、隋→唐→宋→元→明の順に書く。その際に、どの指定語句がどの王朝で使用すべきかを考える。

○隋=大運河・江南(大運河建設によって、華北と江南が結節された。)

○唐=ムスリム商人(唐以降の南海貿易で広州、杭州泉州などで使える。よって宋、元でも使うことは可能。広州には市舶司が置かれた。KP65など)

○宋=稲作(長江下流域が干拓・開発され稲作地帯となった。=「蘇湖熟すれば天下足る」。占城稲の導入。商工業も発達。

○元=海運(海上交通路は、大運河の外バージョンと考えればいい。大運河が大陸内で、華北と江南を結ぶものなら、海上交通路は大陸の外側から華北と華南を結ぶものである。大運河が泥で埋まり始めたため、海運も計画されたという背景がある。KP116の脚注④)

○明:指定語句なし。あるいは、江南から起こった王朝なので、江南をここで使うことも可能。「1度ずつ使用」の指定もないので、何度使ってもいい。明はこれまで見てきたような江南での経済発展を背景に起こってきた王朝と捉えることができる。そして元は、紅巾の乱後期のリーダーであった朱元璋によって江南を奪われ、中国本土での旨味がなくなったことで北に撤退し、「北元」という存在になったと考えることもできる。

 

【解答例】

隋の大運河建設で、江南が政治の中心である華北と結ばれ、一層開発が進んだ。唐代以降、広州や泉州等にムスリム商人が来航し南海貿易でも栄えた。宋代には長江下流の湿地帯で干拓が行われ、占城稲が導入されるなど稲作が拡大した。そのため江南が穀倉地帯となり、商工業も発展した。元では海運が開かれ、大都と江南が結ばれた。明は江南の経済的発展を背景に、江南から中国を統一した初の王朝となった。(187字)

 

【雑感】

中国の7〜14世紀という指定があるため、王朝が明確で書きやすい問題である。「海運」の処理方法に迷ったかもしれない。また、明で何を書くかは結構幅のある部分だろう。

 

問2

【問題】

遊牧・狩猟民のひとつが立て、12世紀に華北のほぼ全域を支配した国家は何か。またその統治下の華北における宗教事情について説明しなさい。(40字)

【分析】

主題1:国家名を答える。

主題2:その国家が統治していいた時期の、華北における宗教事情を説明する。

条件なし。

【見通し/ポイント】KP74の文化の表、KP76の本文/脚注2参照

○主題1:金である。ここがわからなければ次が書けず、話にならない。

○主題2:金統治下の華北では、禅宗が発展し、さらに儒教、仏教、道教が重要視された。これは、金はあまり中国内部の宗教に干渉しなかったため、北宋に引き続き、儒・仏・道三教の調和傾向が続いたことを示している。そして、金統治下の華北において王重陽王陽明ではない!)が禅宗の影響を受けて、仏教と道教を融合し平易で庶民的な性格を持つ、全真教を始めた。全真教は華北の代表的な道教として、江南の正一教と道教会を二分する存在であった。

 

【解答例】

禅宗道教が発展し、王重陽禅宗の影響を受け、仏教と道教を融合した全真教を創始した。(42字)

 

 

【雑感】

○どうだろう?手が出せなかったことはありませんか?カバー率は低めだが、知っていれば勝ち!的な分野である。結構みんな問題の要求には従えるようになってきているので、今後は知識量の勝負だと思いますよ。追い込みの段階に入ったね。

○40字程度となれば、書くことは限定され別解が生まれづらい。

 

○解答の書き方は解答欄に従うべきである。以下は備考的に見てほしい。

パターン①:最初に「金。」と体言止めで国家名を答えてしまい、それも字数に含めるパターン。

金。禅宗や〜(44字)

 

パターン②:「金」は別の解答欄に書く、あるいは同じ解答欄に書いても字数には含めないパターン。別の解答欄があるのならば、こうすべき。同じ解答欄ならパターン①が無難だろう。

国家名:金

禅宗や〜(42字)

 

1 (2010年阪大)

【問題】

台湾は、2千万を超える人口、そして独自の憲法・軍隊・通貨・文化を持ち、直接選挙によって選ばれた総統が統治しているが、日本、アメリカ、中国など、多くの国は、台湾を主権国家として承認していない。現在の台湾の国際的地位に関係する19世紀以来の主な戦争や国際的な取り決めの流れを、時代順に述べなさい。なお、次の語句を必ず用い、それらの語句には全て下線を引くこと(250字程度)。

指定語句:日清戦争 下関条約 第二次世界大戦 サンフランシスコ平和条約 国連代表権

 

【分析】

主題:現在の台湾の国際的地位に関係する主な戦争や国際的な取り決めの流れを述べる。

条件1:19世紀から現在までを、時代順に述べる。

条件2:指定語句の全使用と下線(下線を引くことを忘れないように!!)

 

【見通し/ポイント】

第二次世界大戦を契機に戦前と戦後で区分けするとして、概ね120字程度ずつと見立てる。

○ただ、19世紀については、日清戦争下関条約くらいしか書くことがないので、現代史に相当な比重がくる。これくらいまでを、問題を読みながら考えられると解答時間の削減になる。

○戦争だけでなく、国際的取り決めを書くことを忘れないことが大切である。

→「国際的取り決め」なので、複数の国(台湾を含む場合もある)が合意に至ったものと考えればいい。これには条約や国際会議での合意が該当する。

 

第二次世界大戦前(前半のポイントは、カイロ会談に気付けるかどうか)

○台湾は日清戦争後の下関条約で、清から日本統治下に移った。第二次世界大戦中のカイロ会談で、日本降伏後に台湾を中国に返還することが取り決められた。(71字)

・主語は「台湾」でも「清」でもいいだろう。

・日本の台湾出兵(1874年 KP226)も時代設定としては正しいが、この時はまだ清の統治下にあるため、「国際的地位」に関わる争いであったとは言いづらい。よって、書き出しは日清戦争下関条約からが適切だろう。

第二次世界大戦前で迷うのは、第二次世界大戦の使い方である。「第二次世界大戦後」として、国共内戦につなげる書き方もあるだろう。しかし、国際的地位に関する取り決めでという要求なので、カイロ会談には触れておきたい。今回はここで使用した。

 

第二次世界大戦後(後半のポイントは、サンフランシスコ平和条約の使い方と、米華相互防衛条約に気付けるか。)

 

○戦後は国共内戦の結果、大陸に中華人民共和国が建国されると敗れた中華民国政府が台湾に逃れ、政権を握った。(51字)

国共内戦の結果、台湾が「中国」となり、2つの中国問題が起こった。国共内戦も、現在の台湾の国際的地位に関わる戦争であったと言える。

 

○冷戦構造下で、サンフランシスコ平和条約において日本が正式に台湾の領有権を放棄した。中華民国日華平和条約を結び、さらに西側の一員としてアメリカと米華相互防衛条約を結んだ。しかし、中華民国は1970年代の米中接近の影響で国連代表権を失い、日本やアメリカが中華人民共和国と国交を正常化させると、両国と断行した。(150字)

・最後が一番長くなった。

・国際的地位に関わる戦争に、冷戦も含まれるだろう。

・台湾は中華人民共和国との関係上、西側に所属する。アメリカは台湾を援助し、経済成長を後押しした。そこで、米華相互援助条約が結ばれた。予備知識ではあるが、この前後は朝鮮戦争の影響もあり、ユーラシア、太平洋地域でソ連を囲む同盟・条約が立て続けに結ばれた。日米安全保障条約もその一つである。(KP293の地図はよく見る形の地図である。)

・中ソ論争の激化や、ベトナム戦争終結を望むアメリカの思惑もあり、1970年代に米中が接近した。1970年代前半のアメリカ大統領はニクソン大統領で、彼が訪中している。当時のトップは毛沢東周恩来である。その結果、2つの中国のうち、アメリカは大陸を選んだ。当然、アメリカと動きを共にする日本も同様であった。台湾の中華民国は、1971年に国連代表権を中華人民共和国に奪われた。翌年ニクソン訪中があり、同年、日中国交正常化が起こるなど、台湾は国際的に孤立した。アメリカや日本は非政府間実務関係という形で台湾との関係は保った。しかし、正式には台湾はアメリカや日本とは断交するに至った。

 

【解答例】

台湾は日清戦争後の下関条約で、清から日本統治下に移った。第二次世界大戦中のカイロ会談で、日本降伏後に台湾を中国に返還することが決まった。戦後、国共内戦の結果、中華人民共和国が建国されると敗れた中華民国政府は台湾に逃れ、政権を握った。冷戦下で、サンフランシスコ平和条約で日本が正式に台湾の領有権を放棄した。中華民国日華平和条約を結び、さらにアメリカと米華相互防衛条約を結んだ。しかし、中華民国は1970年代の米中接近の影響で国連代表権を失い、日本やアメリカが中華人民共和国と国交を正常化させると、両国と断行した。(253字)

 

【雑感】

この間は台湾の政治史の叙述でしたが、今回は国際的地位に関する論述でした。

「国際的取り決め」が何かを思いつければ、ある程度はかけるだろう。しかも、時系列に沿って書くという指示まで出ているので、骨組みは作りやすく安心感がある。

 

2 

【問題】

1948年9月9か、前年ベルリン市長に選出されたエルンスト・ロイターは、旧国会議事堂前に参集した群衆を前に演説を行った。次に掲げる演説文の一節を読み、1947〜49年のヨーロッパを舞台とした国際政治の情勢を説明しなさい。(300字程度) (以下 「 」内 演説文)

「いまここにいる数十万人のベルリン市民が立ち上がれば、全世界がベルリンに目を向けよう。そうすれば、将軍たちや政治家たちはもはや交渉の主導権をにぎれまい。そこには自由な民衆の意志がある。民衆は、ここベルリンに自由の砦が築かれ、ベルリンが自由の最前線になることを十分に心得ているのだ。……世界の人々よ。アメリカの、イギリスの、フランスの、そしてイタリアの人々よ。この町を見たまえ。あなたがたはこの町とこの住民を見捨ててはいけない!見捨てることはできないのである。」

 

【分析】

主題:1947年〜49年のヨーロッパを舞台とした国際情勢を説明すること。

条件:演説文の内容を踏まえる。→この問題は演説文をどう読むかで、要求に従えるかが決まる。下線部で、どういう状況が読み取れる。

 

【見通し/ポイント】

○この問題は、時系列でテンポよく記述していく必要があるので、300字を分割しなくてもいいだろう。あえてやるなら、300÷3(1947〜49年の3年間)=1年100字という計算である。

○時代・場所の設定:1948年9月9日のベルリンの状況を考える必要がある。

→この時はソ連によるベルリン封鎖が行われている時期(1948年6月〜1949年5月)である。

→気をつけなければならないのは、主題は「1947年〜49年」なので、ベルリン封鎖が起こる前から起こった後まで書く必要があるということである。

○演説の状況:東ドイツ内にある、西ベルリンが孤立したため、西ドイツ及び、西ベルリンを分割占領しているアメリカ、イギリス、フランスに対し「西ベルリンと、西ベルリン市民を見捨ててはいけない」と言っている。見方を変えれば助けを求めているとも考えられる。

ベルリン封鎖が起こった状況:東西冷戦の激化→この流れ3年間分を、時系列で記述していけばいい。

→西が動けば、東が動くというジグザグ構成であるが、漏れなく書くのは案外難しい。(ジグザグ構成は冷戦「第二次世界大戦後の国際関係」の授業プリントを参照。総合を取っていなくても、論述組は全員持っていると思います。)

 

【解答例】

第二次世界大戦後、東欧諸国が相次いでソ連の衛星国となり、フランスやイタリアでも共産党が勢力を伸ばした。危機感を覚えたアメリカはトルーマン=ドクトリンを宣言し、マーシャル=プランによる経済援助で西欧諸国の共産化を防ごうとした。ソ連は対抗措置としてコミンフォルムを結成した。東西対立が激化する中、東西陣営に分割占領されていたドイツで、西側が自らの管理地区で通貨改革を行ったため、反発したソ連がベルリンを封鎖し緊張が高まった。さらに東側はコメコンを創設し、西側は反共軍事同盟としてNATOを結成して団結を強めた。ベルリン封鎖は1年で解かれたが、西にドイツ連邦共和国、東にドイツ民主共和国が成立し、ヨーロッパとドイツは政治的に分裂した。(312字)

 

【雑感】

○分析に成功すれば、知識がモノを言う。経済相互援助条約ではなく、コメコン北大西洋条約機構ではなく、NATO。これで字数を節約した。コミンフォルム共産党情報局とすることもできる。

○西側の通貨改革の内容に踏み込んでしまったら、字数が足りなくなる。テンポよく書き進めたい。

○出だしの「衛星国」のところを、「東欧諸国が共産化し」くらいで止めてもいいだろう。字数も減らせる。とにかく、アメリカがトルーマン=ドクトリンを発する危機感を覚えたことに接続できれば文意は通る。

○今回は「封じ込め政策」「チェコスロヴァキア共産党によるクーデタ」は飛ばした。入れてもいいが、字数によるだろう。「ユーゴスラヴィアコミンフォルム除名」は、要求から外れるので不要だろう。

 

 

3 人類史上、政治・経済・環境などさまざまな要因の連鎖により、広い範囲に危機が及んだ時代が何回もあった。これについて、以下の問いに答えなさい。

 

問1

【問題】

ユーラシアの多くの地域が、14世紀に戦乱、伝染病などによる大きな混乱を経験した。その原因は、第一に北半球の気候の寒冷化による農業生産力の低下、第二にモンゴル帝国時代の交流の活発化がかえって危機の拡大を招いたことなどにあると考えられている。では、どの地域がどんな混乱に襲われたか、日本列島を含む3つ以上の地域の例をあげて説明しなさい。解答には以下の用語をすべて用いること(120字程度)。

指定語句:倭寇  紅巾の乱  黒死病

【分析】

主題;14世紀のユーラシアで、どの地域がどんな混乱に襲われたかを説明する。

→戦乱や伝染病の原因については、リード文があるので記述不要で、加点ポイントではない。焦って書かないように。

条件1:3つ以上の地域の例を挙げる。その中には日本を必ず含める。

条件2:指定語句3つを必ず用いる。

【見通し/ポイント】

○一番シンプルな書き方は、日本、中国、ヨーロッパについての3構成で書くことであろう。

○第四の地域を書くなら、例えば朝鮮半島での高麗から李氏朝鮮が考えられる。その場合は、高麗の武将であった李成桂が、倭寇を撃退して李朝を建てたという内容である。倭寇で混乱があった後、李朝建国なので要求にも添っている。

倭寇=日本、紅巾の乱=中国(元から明へ)、黒死病=ヨーロッパ で使用するのが適当だろう。

 

【短文】

日本:日本では鎌倉幕府の衰えと南北朝の戦乱で、日本人を中心とする倭寇が活動を活発化させ、東アジア諸国の沿岸を襲った。(55字)

中国:中国では紅巾の乱が起き、元から明へと王朝交代が起きた。(27字)

ヨーロッパ:ヨーロッパでは黒死病流行による人口急減、また農民一揆百年戦争で社会が混乱した。(40字)

 

【解答例】

日本では鎌倉幕府の衰えと南北朝の戦乱で、日本人を中心とする倭寇が活動を活発化させ、東アジア諸国の沿岸を襲った。中国では紅巾の乱が起き、元から明へと王朝交代が起きた。ヨーロッパでは黒死病流行による人口急減、また農民一揆百年戦争で社会が混乱した。(122字)

 

【雑感】

○とりあえず混乱、戦乱を書いたらこうなったという感じである。それほど難しい問題ではない。王朝交代も混乱の一つである場合が多い。平和的な王朝交代もあり得はするが。

○悩むとすれば、日本列島だろう。鎌倉幕府の衰えはKP123にも記載があった。中学で習った日本史の知識を活かして、鎌倉時代南北朝時代室町時代の流れを思い出したい。室町は勘合貿易で、明の海禁=朝貢体制に参画していくわけだから、その前であるという判断基準で南北朝を導きだすべきだろう。