振り返り用のページ

世界史の振り返りのためのものです。

世界史を学ぶ理由 あなたはどう考えますか?

以前、世界史が辛いという話を聞いたので書いた文章です。

個人が特定される内容はなく、問題ないかと思うので載せます。

 

 世界史を勉強していてよかったなと感じられるところということなので、考えてみました。実際なんとくなく、感覚的に捉えていた部分があったのですが、この質問をもらったことで、明確にしてみようと思い文字にしました。こんな機会を与えてくれてありがたく思っています。あくまで僕の感覚ですが、書き連ねて行きます。大上段に構えたものも多いです。専門家でもないのに、こんなことを考えてどうするねん、という感覚を持つかもしれません。それももっともな感覚です。でも教養とは、元来そのようなものです。本質的には「無くても死なないもの」です。でも、「あれば無いよりも善く生きられるかもしれない」というものです。あるいは、世界史を勉強することで得た知識や考え方を活かすように意識して生活するということです。なぜこのような考えに至ったかというと、日本で世界史を習った多くの人が、受験時に得た知識のほとんどを忘れている、でも生きているという事実があるからです。無くても死なないんです。授業で時々いうことですが、「こんなもん大人になったら忘れてるって。でもここは知っとくべきやで」と。最近で言えば、イスラームの原理。何もブワイフ朝イクター制について詳しくないと生きていけないことはないです。でも、イスラームの原理(一神教アブラハムの系譜を継いでユダヤ教キリスト教と”兄弟宗教”であること、ムスリム間の平等の原理を有していること、六信五行のもどついてムスリムが生活していることなど)については知っておかないと、これだけムスリムが多い世界において、国際社会に身を置いた場合トラブルなしに生きていくことは難しいと思います。これはキリスト教の範囲にも言えることです。あるいは、アメリカやその他各国の成り立ちも同様です。しかし、日本の高校世界史では、網羅的すぎてそういったことを考える暇がないという強烈な難点があります。「素朴な分類学」の揶揄されています。(素朴な分類学とは、マルクス=アウレリウス=アントニヌスが五賢帝の5番目や!どや!!それがどないしてん!?という程度の暗記ものになっているよ、という嫌味です。あなたは多分これに苦しめられているのだと思います。)東南アジア史などはその際たるものと思います(大まかな歴史の流れだけが列挙され、具体的な内容が乏しい)。このあたりを今後改善することが、社会的にも要請されています。最近の世界史で覚えなければならない用語を2000単語くらいに減らす提案や、日本史と世界史を統合した、歴史総合の授業を創設しようという動きは、その延長線上にあります。

 多分、あなたは早く「大人の勉強」に移行したいと思っているのだと思います。受験生の勉強は網羅的な勉強が要求されます。でも大人の勉強は、やりたいところを勉強していい。好きな時代、好きな地域、好きな分野です。僕ならば人類史です。読む本も、偏っています(一応仕事なので、その他の分野も当然読みますが)。人類史から世界史全体を眺めるという勉強方法です。今は大学受験という目標が直近にあるので、大学受験の”お作法”にのっとって網羅的勉強をしてるのが現状かと思います。直近の目標を優先するのであれば網羅的勉強の末に得た知識をどう活かしてやろうか?と考えながら勉強するべきです。

 これから述べるような生き方しないから、世界史は不要!と言われれば全く手出しができません。そのような生き方を選択することも実際は可能です。しかし、それは知的好奇心が少ない生き方です。否定はしませんが、面白いことに出会う確率が下がるのではないかな?もったいないな。と思います。でもあなたは、多くの人が感じながら、我慢し流す疑問を投げかけてくれたわけですので、知的好奇心は十分にお持ちでしょう。

 最後まで読んでもらえれば気づくと思いますが、下記には世界史以外の他教科(数学、国語、理科、英語など)を勉強することでも獲得できることが含まれています。教養なのでおかしなことではなく、むしろ当然のことだと思います。一方で、世界史に特有のものも含まれています。

 

歴史観をもつきっかけとなる。

 自国の歴史、他国の歴史全体をどう考えているのかという「歴史観」をもつ基礎ができあがります。歴史観は、平時は「無くても死なない」類のものですが、平時から非常時への転換期、あるいは非常時においては生死に関わる問題だと思っています。歴史観がブレブレだと、他人に考えに左右されて自分の命を落とします。僕は第二次世界大戦がその例だと思っています。そもそも教育で単一の歴史観を植えつけられたことが間違いです。歴史観は人それぞれでないと、一方向に突き進んでしまう。国家を動かすには非常に効率が悪く、為政者にとっては鬱陶しいことこの上ないですが、「歴史観はバラバラ」、これが国民が国家から自身を防衛する武器だと思っています。その基礎が歴史教育です。僕が選挙で投票する時の基準は、外交と教育です。歴史観如実に現れる部分だと思っているからです。(気づいてください、「僕が選挙で投票する時の基準は、外交と教育です。歴史観如実に現れる部分だと思っているからです。」はあくまで僕の考えです。なので、自分は違う部分を重視するというのが「歴史観がバラバラ」であるということです。)

 

○思考の展開、セレンディピティ、が強化される。

知識が増えれば、知識同士のつながりは自然と増えます。そうすれば、思わぬ発見やアイデアの飛躍が生じます。僕にとって勉強全般の一番面白いところはここです。

 例1:あとから出てくる「○旅行に行く時の楽しみが増える。」で書いたことですが、「偶像崇拝を禁止するイスラームなので、イエスとマリアの壁画を塗りつぶしてしまいました。宗教の対立ではなく、ハギア=ソフィアそのものを研究する時代に入り、塗りつぶした部分を取り除いた結果、現在の状態になったとされています。このような背景がわかることも、世界史を勉強していたからです」。実はこの文章を書いている間にも改めて発見?(というほどでもないかもしれませんが)がありました。ハギア=ソフィアを建てたのは、どちらかといえばギリシア正教側です。でも、イスタンブールカトリックのラテン帝国(十字軍の頃)の支配下に入ったことがあります。その時は教会が荒れ果てていたそうです。ということは、むしろハギア=ソフィア聖堂(ギリシア正教キリスト教)にとっての敵は、イスラームムスリム)よりもカトリック(=キリスト教)だったのではないか?案外、敵は目に見えているものではなく、内部に存在するものだなと思います。僕は、こういった時に思いつく考えが、普段の生活に応用・適用できないかと考えることが多いです。

『乱読のセレンディピティ外山滋比古著 参照

 

○他者に寛容になること

は?と思ったと思います。でも、世界史の中にはその地域の人が生きてきた背景、原理原則、思想の履歴、が語られています。苦しんだ側の歴史や、侵略した側の歴史が語られています。あるいは現在でも苦しんでいる場合もあります(例:パレスチナ問題、クルド人問題など)。これらを知ることで、我々日本に住む人間からは到底想像の及ばない立場に立ってものを見る経験をします。僕は、その経験は我々を寛容にすると考えています。

 

○これだけ多くの社会人向けの「世界史本」が出ている。ということは、働き始めたら、「あったほうがいい知識」だと多くの人が思っているのだと思います。高校生でも大学生でもInstagramFacebookTwitterなどで外国人、日本にいる人だが自分と宗教的背景が違う人、政治的背景が違う人などとの交流が気軽な状況です。働き始めれば、尚更です。関わりたいかどうかではなく、関わることが自然な社会になっています。彼らと建設的な交流をするためには、今現在の彼らだけでなく、過去の彼らにも目を向けることが重要だと思います。これを表現するのが上手なのが、池上彰さんです。『そうだったのか!現代史』シリーズや『知らないと恥をかく世界の大問題』シリーズは超有名です。池上さんが多くの著作で書いていることは、実はほとんど同じ内容です。『そうだったのか!現代史』がその根底にあります。で、その内容の基礎は高校世界史です。読んでみればわかります。ここからわかるのは、多くの社会人が、高校世界史の知識が欠落しているという事実です。これは僕たち、世界史教師の側に責任があると思っています。だからこそ、なんとかあなた方を繋ぎとめようとあの手この手でやっているのですが・・・。

 

○1世紀以上のスパンで世界の成り立ちを俯瞰することができる。

 仕事をしていると、細かいことにとらわれず、広い視点で物事の推移を見ることが大切な場面に遭遇します。これは世界史を勉強していてよかったなと思える部分です。どうしても歴史を説明する時には50年以上、100年以上の単位で、社会の推移を俯瞰的に見る必要があるからです。細かいことに気をとられそうになったら、待てよ、と一度立ち止まる。そして冷静に大きな流れを見ます。この意識があるかないかは、非常に大きいです。

 例1:センター試験で、こんな問題が出されました。①アメリカ=メキシコ戦争が起こった。②門戸開放宣言が出された。③モンロー宣言が出された。①〜③を古い順に並び替えろ。年号暗記で臨めばしんどいです。そこで、広い視点の出番となります。アメリカは、イギリスから独立した。→ヨーロッパ諸国がアメリカ大陸に干渉してほしくない(モンロー宣言)。→干渉を防ぐ間に、アメリカ大陸内での合衆国の地位を上昇させる(アメリカ=メキシコ戦争。メキシコは北アメリカ大陸内の国です。)→北アメリカで一番の国になった+西海岸まで領土を伸ばした。→海外進出(門戸開放宣言)。これらの推移が見えているかどうかで勝負が決まります。

 

○共通点を見出す訓練になる。

 個別の歴史は相互の違いが大きいですが、巨視的に流れを追っていくと、共通点はたくさんあります。

 例1:5世紀のユーラシア大陸の東西が分裂の時代であったということ。

 例2:中国史が、バラバラと統一の時代であるということ。

 例3:宗教が広がる条件には、難解さの除去と、信者間の平等原則があること。

 これ以外にも数限りなく、共通点は見つけられます。まあ、同じホモ=サピエンスですから、脳の構造上、取る行動も似通ってくる部分があるのかもしれませんね。人間とは何か?を考えるヒントがここにも落ちているのかもしれません(これもセレンディピティの例です。)

 

○旅行に行く時の楽しみが増える。

 世界史を勉強していたほうが、外国に旅行に行った時に受け取れる情報が多いです。単純なことですが、そう思います。

 例1:トルコのアヤソフィア宮殿。ここは現在モスクです。でもミフラーブ(メッカの方向を向いて礼拝するために作られた壁の窪み)の上に、イエスとマリアの絵が描かれています。しかも壁画にもかかわらず保存状態が極めて良いのです。イスタンブールはもともとはローマ帝国東ローマ帝国と、キリスト教徒主体の土地です。アヤソフィアキリスト教時代はハギア=ソフィア)もキリスト教の教会でした。そこがオスマン帝国領土になるのと並行して、モスク(=イスラームの教会)に変化していきました。偶像崇拝を禁止するイスラームなので、イエスとマリアの壁画を塗りつぶしてしまいました。宗教の対立ではなく、アヤソフィアそのものを研究する時代に入り、塗りつぶした部分を取り除いた結果、現在の状態になったとされています。塗りつぶしていたから、結果的に外気から壁画が守られたのです。このような背景がわかることも、世界史を勉強していたからです。

 例2:僕が大学2年生で、ポーランドに行った時のことです。レストランで隣に座ったおじいちゃんが、ポーランドの歴史と日本の歴史について比べながら、あーだこーだ喋ってきました。ポーランドの歴史はとても複雑で、一度地図から消滅したことがあるような国です。第二次世界大戦では、ドイツに占領され、アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所が建設された土地でもあります。負の歴史が強調されやすいところです。もちろん、明るい歴史もあるのでしょうが。英語だったので、お互い100分の1も語れていない(僕は英語を喋れませんし、おじいちゃんはポーランド語?で喋ろうとしました。無茶いうなということで、せめて英語にしてと言いました。)でしょうが、こういったことに対応できるのも、世界史を勉強してきたことの利点だと思います。(大学2年のことですので、大学受験時の知識の残骸をつなぎ合わせて考えました。当時の僕に今のような知識はありません。)

 もう一つ旅行の楽しみについて。世界史を勉強している人と、していない人では「行ってみたいな」と思う場所の数が違うと思います(統計をとったわけではないので肌感覚ですが)。その理由は多くの国や地域、場所、それからそこの何となくの歴史や世界遺産を知っているからです。このようなぼんやりとした知識から出発して、海外に行く機会が増えるのであれば、十分に世界史を勉強した価値はあると思います。高校3年生のこの瞬間にその価値がなくても、後々その価値が顕現してくるイメージです。『7日間で人生を変える旅』高橋歩著(「自由人」で有名な高橋歩さん)

 

○国際情勢やニュースの背景にある対立、その国の傾向がわかる。

 例1:アメリカのトランプ大統領の対外政策。これはアメリカの基本姿勢に戻っただけの話です。「排外的だ」「孤立的だ」と騒がれていますが、全く驚くに値しないものです。むしろアメリカは建国当初から他国、とくにヨーロッパがアメリカ大陸諸国に干渉することを嫌っていました。(cf:モンロー主義 教科書で言えば、P208 ※cfは参照しての意味)

 

○この先の世界について考える

 例1:第一次世界大戦後に国際連盟第二次世界大戦後に国際連合ができた。その前は、国際安全保障体制ではなく、勢力均衡の時代であった。(三国同盟三国協商ウィーン体制の勢力均衡など)国際連盟は20年で大失敗とみる歴史観があります。理由は、第二次世界大戦が起こったからです。国際連合はなんとか成功しているが、冷戦は防げていないし、各地の紛争は防げていないとの歴史観があります。ならば、ウィーン体制(1815〜48年)からクリミア戦争(1853年)まで、約40年間、ヨーロッパの大国間での大規模戦争が起きなかった勢力均衡の方が優れているのではないかと考える人もいます。では、この先はどうなるのか?国際安全保障体制に勢力均衡の手法を加味して、国際秩序を維持できないだろうか?このようなことを考えることができるのは、高校世界史の基礎があるからこそです。『国際秩序 〜18世紀ヨーロッパから21世紀アジアへ〜』細谷雄一著 参照

 

 

ざっとまとめてみました。もっと伝えるべきことが他にあるのかもしれませんし、先生によっても違うと思います。僕の意見を否定する人もたくさんいると思います。でも、それでいいと思います。人それぞれですから。

とりあえずの答えになったら嬉しいですし、今後あなたがこれに対する反論、答えを構築していってくれればもっとありがたいです。