論述講座 第3回 No.6
№6
【問題】イタリアの統一とドイツの統一の経緯を比較し、共通する特徴について100字以内で述べよ。
【解答例】
イタリアとドイツの統一は、1848年の革命以降サルディーニャとプロイセンによる軍事・外交手段を用いた上からの統一であった。また、イタリア統一戦争や普墺戦争でオーストリアの排除を通じた統一でもあった。(95字)
【問題】
「戊戌返報運動(戊戌の変法)」に先行する清朝の改革の試みとして「同治の中興」期から推薦された「洋務運動」がある。改革に関する両者の考え方の基本的な違いを120字以内で述べよ。その際、<中体西用>と<明治維新>の2つの言葉を必ず適切に用いること。なお、「戊戌変法運動」を「前者」と、また「洋務運動」を「後者」と略称してもよい。
【解答例】
後者は西洋の学問や技術の導入をめざすが、政治変革を行わず中国の伝統思想を維持する「中体西用」の立場をとった。一方前者は日清・清仏戦争での敗北を機に日本の明治維新にならい立憲君主制を始めとした政治制度の根本的な改革をめざす立場をとった。(117字)
【分析】
○主題:「戊戌変法運動」と「洋務運動」に考え方の違いを比較する。→それぞれの改革の方向性の違いを記す必要がある。人名や年代はあくまで枝情報であり、必ずしも必要なものではない。むしろ字数からして、入れることができないだろう。
○条件:中体西用と明治維新の言葉を適切に使う。→“主題である考え方の違いを示す際に使いなさい”という示唆と考えられる。指定語句は軽く扱うな!!
○条件2:戊戌=「前者」、洋務=「後者」との表記でよい。
【見通し】KP224/246
○洋務運動(1860年頃〜)
特色:西洋技術の導入による富国強兵策。
スローガン:中体西用・・・政治改革は行わず、西洋の技術だけを取り入れるという考え。→中国の伝統的な思想を維持しつつ、西洋の学問や技術の導入を図るという方向性。
結果:一時期、同治の中興と呼ばれる内政・外交の安定期を迎えた。しかし、清仏戦争や日清戦争の敗北で、洋務運動の限界が認識された。→戊戌変法運動へ
※洋務運動でも政体変革論はあったが、保守派がそれを阻んでいた。
○戊戌変法運動 (「旧い法(制度)を変通(その時々の必要性に適応)すること」)
特色:明治維新をモデルに政治体制・社会の改革をめざす。立憲君主制の樹立をめざした。
指導者:康有為(公羊学者。光緒帝に登用された)・梁啓超
結果:戊戌の政変・・・西太后ら保守派が、光緒帝ら変法派に対してクーデタを起こし失敗におわる。
康有為・梁啓超は日本に亡命。光緒帝は幽閉。それ以外の変法派は処刑された。
【この後】
清朝は義和団事件で敗北し、保守的・排外的議論が後退した。→変法運動で唱えられた案が実行された。
具体例:科挙の廃止(1905年)/新軍の設置(1906年)/憲法大綱の発布(1908年 明治憲法がモデル。)→8年後の国会開設を公約とする。