文化史プリント(参考用)
文化史プリントです。
背景や理由、考え方などを書いたものです。授業中に配布したものを抜き出して、編集したものも多いので、記憶にある人もいると思います。下線部が頻出箇所です。
文化史は最終的に覚えろ!となることが多いです(悲しい話ですが・・・文化史こそ人類が蓄積してきた教養なのに・・・)。
資料集を見ながらやりましょう。文化史は資料集がなければ字面を覚えるだけになってしまうので、楽しさもなにもあったもんではないので・・・。
倫理と重なる部分については、記載しておきました。いつも言うことですが、一つの教科の知識を一つの教科に限定することはもったいないですよ。
何かあれば、ここに質問ください。 sokosokoyy@gmail.com
休校中の世界史 ~大きな方針と具体的行動~
授業の開始が遅くなり、どのように勉強すればいいのかと不安に思っている人も多いと思います。でも、あまり焦る必要はありません。授業がなくても、できることがたくさんあるからです。以下に大きな方針と、具体的な行動について書きます。焦る必要はないと書きました。しかし、受験生としての緊張感と切迫感は持ってください。この間の自宅の過ごし方が入試結果に大きく影響を与えることになると思われますので、休校中に完璧だと言えるレベルにまで引き上げてください。
【大きな方針】夏の講習で扱う予定であった部分の前倒し / 中国史の予習
※今回の休校に伴う授業回数の減少を、何かの形で補填できたとしても、夏の講習で扱う予定であった内容については回復できない可能性が高いです。したがって、それを自学自習で補うという意味です。
【1】2年の復習
・春休みの宿題の精度向上。 ・要約の継続(要約は任意)
A:2年次の世界史Bの定期テストの問題に、根拠をもって全問正解できること。
※甘さは排除して、徹底的に覚えてください。該当範囲の教科書の熟読しよう(5回くらい音読してください)。
B:センター世界史の同範囲を、根拠をもって全問正解できること。(時代別問題以外も解くこと)
【2】文化史の自学自習
・ギリシア・ヘレニズム文化 ・ローマ文化 ・中世ヨーロッパ文化 ・17~18世紀のヨーロッパ文化
・先史の時代 ・古代オリエント文化(メソポタミア~ササン朝) ・イスラーム文化
・ユダヤ教 ・キリスト教 ・ルネサンス(イタリアと、イタリア以外)
A:教科書の該当範囲を読んで、その時代の文化傾向をつかみ、掲載されている表や本文の単語を覚える。
B:資料集で写真を見ながらやらないと覚えられません!
C:チェックリストで、覚えられているかテストする。(めっちゃ有効!)
※文化史は、覚えているか覚えていないかで点数が大きく左右される分野です。まずは覚えることに集中してくだい。上記のプリントを ココにアップしますので、必要に応じて参照してください。
D:センター世界史の同範囲を、根拠をもって全問正解できること。(時代別問題以外も解くこと)
【3】中国史の予習
・プリントと教科書を使い、黄河文明~魏晋南北朝時代までの予習をする。(KP47~64)
授業再開後、この範囲も授業で扱うが予習していることを前提とした内容となります。
3年 世界史 休校中の中国史プリント
直接送付する予定ですが、それと同じものをアップします。早く予習を始めたいという人は使ってください。
授業動画もアップする予定です。アップした時はお知らせします。
この休校中に一日10時間くらい勉強してみてください。思いっきり受験生になりましょう!!
皇帝って簡単に作れるの?
このような質問をいただきました。
3世紀の危機に関して、「混乱中とはいえ、それほどローマ皇帝は擁立しやすいものだったのでしょうか。また、当時のローマ皇帝は世襲が可能だったのでしょうか」
☆教科書の記述:P33 3〜4行目「政治的にも各地の軍団が皇帝を擁立して政権を奪い合う軍人皇帝時代となった」
☆『世界史用語集』(山川出版):235〜284年までのあいだ、各地の軍団によって擁立された諸皇帝のこと。一般兵士出身の軍人である皇帝が多い。
よく言われるのが、軍人皇帝は50年間で26名。自然死2名。ということは他は殺された場合が多いということです。少し長いですが、引用します。
『興亡の世界史04 地中海世界とローマ帝国』講談社 木村凌二著
「半世紀で70人の皇帝が出現
後任は高齢の元元老院議員タキトゥスである。おだやかでつつましい退役軍人だったが、半年足らずで殺されてしまう。お次は親衛隊長フロリアヌスだった。だが、ほかに有意の軍人プロブスを擁立する勢力があらわれる。やがてフロリアヌス軍内で反乱が起こり、現帝はあえなく殺害された。(中略)それでも親衛隊長カルスの裏切りで気まぐれな兵士たちが寝返り、殺されてしまう。その惨劇はもはや軍人皇帝時代の現役病であった。(中略 この間も軍団による皇帝擁立→殺害の記述が続く)すさまじい混迷の半世紀であった。この期間に正統な皇帝とみなされた者だけでも26名を数える。そのうち24名は殺されたり戦場の刃でたおれたりしている。さらに、共治(共同統治)3人、僭称(勝手に皇帝を名乗る)帝41人を数えれば、じつに半世紀で総計70人の皇帝が出現したことになる。そのほとんどが軍人であり、駐屯する軍団に擁立され、味方の兵士の手であるいは敵軍の刃で息の根を止められたのである。皇帝の数が大インフレーションすれば、皇帝の威光は大暴落するしかなかった。」
これほど擁立しやすいものだったということです。
皇帝就任手順の変遷
<五賢帝あたり>
皇帝が実子を皇帝にする(世襲)、あるいは次の皇帝と目されるものを養子としてから皇帝位を継がせる。次の皇帝の候補になるために苛烈な政治闘争が繰り広げられたであろうことは想像できますね。そして、皇帝就任を元老院が承認するという形。
<五賢帝後>
親衛隊が皇帝を指名し、元老院がそれを承認する。紀元後190年ころからです。親衛隊の後ろ盾を得て、形式的に元老院に皇帝就任を追認させるということです。そのために皇帝は軍人の報酬を上げる必要がありました。
それでも軍人皇帝時代まで、つまり3世紀始めころまではローマ社会の最上層部である元老院議員から皇帝は選ばれていました。皇帝となりうる人は元老院議員となっていました。しかし、軍人皇帝時代では違います。
<軍人皇帝時代>
元老院議員の身分でない、またイタリア出身者(属州出身者)でもない者が軍団に擁立されて皇帝になりました。
以上です。答えになったでしょうか。なっていなければ引き続き質問をどうぞ。直接も可です。
質問ありがとうございます。私の勉強にもなるので非常にありがたいです。
授業の評価/振り返り(2019年度)④中世ヨーロッパ
ながらく更新していませんでした。先日から中世ヨーロッパの範囲に入ったので更新しました。質問ももらっています。自由にお使いください。
質問をして下さった方、お返事が遅くすみません。次に書きます。ご覧ください。
質問への回答 更新世と完新世
更新世と完新世というのは、地質学の用語です。用語集などでは、地質年代という区分けで記載されています。
地質年代とは、地球に地殻ができはじめてから今日にいたるまでの時代すべてをカバーして区分したものです。更新世とは、その中の新生代のうち約260万年前から約11700年前ころまでをさします。数十回の氷期と間氷期が繰り返された時代と考えられています。更新世は、考古学上は旧石器時代に属する年代です。歴史学として言えば、先史時代ですね。
※間氷期とは、氷期に挟まれて氷河が後退する時期です。今も間氷期と言えるかもしれません。
完新世は、約11700年前から現在までをさします。マンモスなどの大型動物は絶滅しました。考古学上は、新石器時代以降に相当します。
この説明からわからるように、同じ時代に複数の呼び名があります。地質学からみたら「〇」、歴史学から見たら「△」、考古学から見たら「□」と呼ぶ。でも西暦で言えば、すべて2020年だ!というイメージです。
質問をありがとうございます。こちらも勉強になるのでありがたいです。
今後もよろしくお願いします。